9.皿山の昔の暮らしは?

9.皿山の昔の暮らしは? 札の辻

◇江戸時代には領民や旅人たちに法(きまり)を知らせるために人の出入りの多いとことに札(掲示板)を立てました。有田皿山では、いまの佐賀銀行有田支店付近にそれが立っていました。そこは、陶山神社から現在の有田小学校の入り口付近にあった皿山代官所へ行く道と、泉山から岩谷川内へ通じる街道の交わるところで、辻といいます。札が立っていたことから「札の辻」といわれるようになりました。みなさんが家から小学校に行くまでのバスの停留所には、付近の地名が書いてあります。ふだんなにげなく使う地名にも、昔からいわれがあることがわかります。
◇では札の辻にはどのようなきまりが書いてあったのでしょうか。領民の日常における心得にはじまり、キリシタン禁制や銭の交換レートの禁止、職人などの申し合わせにある賃金引き上げの禁止など、その時々の内容が書かれていました。そのころは文字が読めない人もいましたので、藩からの達しは住民を場所ごとに集めて、役人や庄屋らが読んで聞かせました。5人以上集まって酒食をする時は役所に届けること、法事の時の揚げ供養といって寺で酒食を出すことを禁止する、などが告げられました。
◇そのころ農業を営む者が街道ぞいで物を売ることは許されませんでしたが、皿山で「うどん屋」を開くことは許されました。本幸平山の栄吉という人が、1805年(文化2)に届けを出して許されています。菓子類で販売できたのは、あめ・おこし・らくがん・黒砂糖せんべい・いっこうこうなどで、白砂糖入りの菓子を売ることはできませんでした。また、藩の達しは家庭教育まで及び、皿山では子供まで日雇いの仕事があるが、それで得た賃金は自分勝手に使ってはいけない、そのつど親に渡すように指示しています。
◇衣服については、有田地方は農村と違って流行に敏感だったらしく、衣類の商いについて、たびたび禁令が出ています。
(金岩昭夫)

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