“初期伊万里”と“初期伊万里様式”

有田のやきものの歴史に関わる用語には、さまざまなものがあります。江戸時代から伝わるものもありますが、近代以降、研究の過程で誕生した言葉もたくさんあります。こうした用語は普段何気なく使われていることも多いのですが、実は、すごく使い方の難しいものも珍しくありません。

たとえば、“初期伊万里”と“初期伊万里様式”の違いなどはどうでしょうか?単に後ろに“様式”が付くか付かないかの差ですが、これで対象となる製品に大きくずれが生じます。“初期伊万里”は初期の伊万里という意味で、今日では、おおむね磁器が創始された1610年代から1650年代頃の肥前磁器のことを指します。しかし、“初期伊万里様式”は、初期の伊万里に類するスタイルの磁器のことであり、17世紀後半まで1世紀弱も作り続けられていました。つまり、“様式”の語の有無によって、年代で括るのかスタイル(様式)で括るのかの差を生じることになり、結果として、対象となる製品に違いが現れるのです。

と、ここまでなら、まだ“様式”の語の有無を確認すれば済む問題なので、それほど難しいことではありません。しかし、実際には書籍や雑誌など活字の文章では、そう単純にはいきません。それは、“初期伊万里様式”の意味で使われていても、よく“様式”の語が省略されているからです。たしかに“初期伊万里様式”よりも“初期伊万里”の方が語呂的にはいいのですが、それを読む側が文章の中身から判断する必要があるため、筆者がどちらの意味で使っているのか分からないこともしばしばです。ましてや、筆者自身、“初期伊万里様式”=“初期伊万里”と勘違いしている例も珍しくありません。しかも、これは何も“初期伊万里”に限ったことではなく、“古九谷”や“柿右衛門”や“古伊万里”などでも同様なのです。

こんな分かるようで分からない陶磁史用語は、他にもたくさんあります。まだこのブログははじまったばかりなので、まずは、しばらくこういう陶磁史用語のいくつかについて触れてみようかなと思っています。(村)

下:初期伊万里の染付皿(1620〜30年代 小溝上窯跡)

下:初期伊万里様式の染付皿(1660~80年代 広瀬向窯跡)

酷暑の日々を思い出して…

日ごと寒さが増してきました。そんな夏があったかいな?といわれそうですが、電気不足が叫ばれる中、皆様のお宅では今年の猛暑をどのように過ごされたでしょうか?佐賀県では節電のキャンペーンが実施され、私事ながら我が家も昨年比13%減が達成できたので応募したところ、ささやか?ながら2カ月連続で当選(宇宙科学館の招待券、グリコのお菓子等など)。

実は我が家は終戦後に祖父が建てた古い家で、内装こそ父、そして私どもの代で何度か手を加えたものの、屋根だけは多少こだわって昔はよく見かけた葦葺きを堅持しています。ちょっと前までは近所でも同じような家が何軒かあったのですが、徐々に姿を消していきました。

今年は特に節電が叫ばれたこともあって、意地になってエアコンをつけませんでしたが、それでも隙間だらけの家?なので扇風機で十分でした。清少納言がいう「のつくりやうは、をむねとすべし」を秘かに実践しているわけですが、その代わり、山裾にあって前面の竹木(他家の所有)が生い茂ってきた我が家の冬は日照時間も短く、これから寒さに弱い身にはひたすら忍耐を要する日々が続きます。 (尾)

 

2002年の葺替工事。葺手棟梁は古賀さん(嬉野市在住)

 

古都アンティグア・グアテマラ

 今年の夏から秋にかけて、グアテマラに行ってきました。多くの人に南米に行ってきたのですね、と言われました。帰国時の福岡空港の税関でもそう言われました。でも、実際にはグアテマラは南米ではありません。中米です。大陸的にも南米大陸ではなく、北米大陸です。よく間違えられます。

 現在、グアテマラは非常に治安が悪いところとなっていますが、私が滞在したアンティグア・グアテマラは、グアテマラで唯一安全な街とも言われている平和で穏やかなところです。1773年の大地震で壊滅してしまうまで、グアテマラの首都でした。町のいたるところに地震によって破壊された教会などの廃墟が見られます。

 今回はアンティグアの民宿に泊まって、サント・ドミンゴ修道院遺跡とベアテリオ・デ・インディアス遺跡の出土遺物の調査を行いました。場所はカサ・サント・ドミンゴ博物館の地下倉庫です。博物館員のサントスさんに磁器を中心に見せてもらい、数十点の有田焼の破片を見つけました。今から約350年前に長崎から積み出されて、マニラに輸出され、さらにはるばる太平洋の波濤を越えて運ばれたものです。毎回のことですが、実測作業にとりかかる前にどうしても感慨にふけってしまいます。(野)

 

アグア火山とアンティグアの町並み

 

紅葉情報 その一

資料館周辺が一番美しくなる季節がやってきました。赤や黄色に彩られた紅葉が皆様をお迎えします。毎年この時期になると「今年の紅葉はどんな状態ですか?」とのお問い合わせをたくさんいただきますので、「紅葉情報 その一」をお知らせします。

117日、午前9時ごろの資料館紅葉の様子。

 

資料館玄関から出土文化財管理センターの方向へ

 

 

 

 

 

3、4割ほど色づいた、というところでしょうか?まだ緑の部分が多そうです

 

でも遠くから見たら、木の上部あたりはずいぶん赤くなってきていますよ!!

 

資料館遠景 

 

 

 

 

 

 

「紅葉情報 その二」をお楽しみに。                            (永)

東京有田会

 日曜日にお茶ノ水・東京ガーデンパレスで開かれた「東京有田会」に参加してきました。今回は前日、仕事があり日帰りでしたが、時間的には十分で、改めて便利な世の中になったものだと思いました。思い返せば30数年前の学生時代、東京と佐賀の行き来に利用したのは、受験時からしばらくは夜行寝台列車の「さくら」でした。大きい荷物はチッキ(もうこの言葉自体、死語でしょうか)で送り、肥前山口駅(当時、武雄駅には止まりませんでした)まで見送ってくれる両親と途中で食事をすませて乗車。関門海峡を通過した時点で、もう家には引き返せないと心細い思いをしたことを覚えています。

 その後、新幹線になり、4年生のころには飛行機(スカイメイト)を利用していましたが、田舎暮らしがすっかり身についた今は、あのようなチケット確保のため長蛇の列に並ぶことはできないだろうなあと思っています。

 ところで、今回の目的であった「東京有田会」ですが、参加者は100人余。初めてお会いした方もありましたが、以前、お会いしたりあるいは手紙や電話でのやり取りをした方もあって、懐かしい思いで参加しました。最後は「生涯青春」の皆様と一緒に、茶碗を鳴らしながら習いたての「チロリン節」を踊りました。参加された方々からは昔の有田のこと、有田への思いなど、貴重なお話を伺う事ができました。

 有田会の皆様の、ふるさと・有田への熱い思いを肌で感じ、日本磁器発祥の地であり、長い歴史を持つ有田に誇りを感じながら、歴史に関する仕事が出来る幸せを感謝しつつ、心新たに取り組みたいと思いました。

なお、「東京有田会」の歴史に関することは館報「季刊 皿山 No,89」に掲載しておりますので、ご参照ください。

東京有田会(平成24年11月4日 於:お茶の水 東京ガーデンパレス)

 

マニラの日本人町

 はじめまして、文化財専門員の野上です。窯跡の調査や保存活用を担当しています。最近の私の研究テーマはガレオン貿易と有田焼の関係です。ガレオン貿易とはスペインがマニラ-アカプルコ間で16世紀後半から19世紀初頭にかけて行っていた太平洋貿易です。

 このガレオン貿易で有田焼が運ばれていたという仮説を立て、2004年から本格的に調査を始めました。これまでフィリピンに7回、台湾に5回、マカオに2回、メキシコに3回現地調査に出かけ、今秋にはグアテマラに出かけました。いずれの調査でも有田焼の陶片が遺跡から見つかっています。有田焼を積んだ船は、長崎を出帆した後に台湾などを経由して、マニラに持ち込まれ、その一部が太平洋を渡って、アメリカ大陸のスペイン植民地に運ばれていたことがわかりました。

 そして、来春、ガレオン貿易のアジア側の拠点であるマニラの市街地の発掘調査を計画しています(三島海雲記念財団の研究助成により行います)。17世紀のマニラにはフィリピン人社会の他、スペイン人世界である「イントラムロス」、中国人世界である中華街、そして、日本人社会である日本町など異なる文化と社会が混在していました。今回、調査を計画しているのは昔の日本町です。年末にはマニラに出かけ、フィリピン国立博物館と協議を行う予定ですが、少し問題があります。実は日本町と推定されている場所には、現在、市庁舎が建てられているのです。今のところ、市庁舎の建物の北側の公園を狙っていますが、どうなりますことか。

協議の結果は年明けにお知らせいたします。

 

日本町推定地に建つマニラ市庁舎

 

文化財専門員 野上 建紀(文化財課主査)

「歩こう隊の記録と伊能測量隊200年」展、本日開催!

 はじめまして。有田町歴史民俗資料館の永井です。これから有田町歴史民俗資料館のブログは職員が交代で書いていくことになります。どうぞよろしくお願いいたします。

 さて、初登場の今回は、本日111日(木)より開会した、平成24年度企画展「歩こう隊の記録と伊能測量隊200年」展についてご紹介したいと思います。

 私たち有田町歴史民俗資料館は、NPO 法人アリタ・ガイド・クラブとの協働で、3 年間にわたって花王コミュニティミュージアム・プログラムの助成を受け、「150 年前の有田皿山ば 歩こう隊」を実施してきました。今年度は学校への巡回パネル展示や、夏休みに子ども達が参加する「歴史の川ざらい ベンジャラを探そう!」という企画を行いましたが、その時に見つけた陶片なども展示しています。3年間の活動の集大成を皆さまにご紹介いたします。

 さらに今年は伊能忠敬測量隊による有田街道の測量から200 年という記念すべき年でもあり、パネルや有田町の古地図、旅、伊能測量隊に係る資料などを展示しています。

 なんと展示室の一部床面に「伊能図」の一部を展示し、地図上を歩きながら閲覧できるようにしています。実際に地図の上を歩き、観て、触れていただくことで伊能忠敬の偉業を体感していただきたいと思っております。(地図面は透明のフィルムで保護されていますが、必ず靴下やスリッパに履き替えて下さい。土足・素足・ストッキングは不可。)

企画展一番乗りの鹿島市史談会一行

 113日(土)の午後2時からは、ギャラリートークを予定しています。 企画展は1130日(金)まで。入館無料です。どうぞ皆さま、お誘い合わせの上ご来館ください。

学芸員 永井 都(有田町文化財課 嘱託)

はじめまして

  文化財課学芸員の村上です。主に担当している仕事は埋蔵文化財関係で、町内の発掘調査や出土資料の整理作業、有田焼の歴史に関する研究などを行っています。本日は初登場ということで、まずは、現在日々仕事に励んでいる有田町出土文化財管理センターやそこで行われている作業などについて、ご紹介してみたいと思います。

 出土文化財管理センターは、泉山の歴史民俗資料館と同じ敷地内にあります。発掘調

 査で出土した古陶磁片などを整理・保管する施設で、平成5年度に完成しました。鉄筋コンクリート造の二階建で、合計床面積は847.39㎡ありますが、出土品の整理室や事務室を除いた全体の4分の3程度は収蔵室です。歴史民俗資料館などのような展示施設ではないため、普段はなかなか人目に触れる機会もありませんが、文化財課の事務所にもなっているため、有田町の文化財に関する業務は主にこの建物で行われています。

有田町出土文化財管理センター遺物収蔵状況

 現在、この施設を中心に有田町が保管している出土資料は、収蔵コンテナ1万数千箱もあります。そのほとんどは、有田の窯跡などから出土した古陶磁片で、一つのコンテナには数10点から100点以上の陶片を収めてあるので、数えたことはありませんが、総点数は100万点以上になると思います。なので、破片とは言え、世界で一番有田の古陶磁をたくさん収蔵している施設なのは間違いありません。

 ここで行われている整理作業は、発掘調査の出土品を洗ったり、出土地点を記入したり、復元、作図、写真撮影、調査報告書の編集など、多岐に渡っています。なかなか根気の必要な作業も多く、中には出土品を洗うだけで3年もかかった発掘調査もありました。また、すべての陶片の断面には、一点一点細い筆で、遺跡名と調査年度、平面的な出土位置、出土した土層、収蔵コンテナ番号などを記したりもします。ものすごく時間はかかりますが、これによって、一つ一つの陶片自体が持つ情報に加えて、発掘情報も加えることができます。より信頼性と精度の高い発掘情報を加えるほど、活用する上で良好な資料となるわけです。

 こうした出土資料類は、有田焼の歴史を研究する上で、極めて重要なことは言うまでもありません。たとえば、よく博物館や美術館などに展示されている有田の古陶磁に、何年代頃などと製作年代が示されています。そういう年代もほとんどはその展示品自体から判明するわけではなく、発掘品の研究がベースとなっているのです。なので、なかなか出土陶片自体が人目に触れることはありませんが、重要な役割を担っているわけです。

 また、現在も窯業の町として続いている有田の場合は、歴史関係以外に活用されています。一つ一つの陶片には、数えられないほどさまざまな器形があり、さまざまな文様が描かれています。これは、有田焼400年の中で有田が生み出してきた貴重な英知の塊であり、現代の作陶のお手本や見本となるものなのです。

 今現在も、出土文化財管理センターでは、刻々と出土品の整理作業が進んでいます。それらの陶片が表舞台に立つことはないにしても、有田の窯業が400年の歴史を持つ確かな証拠として、出土文化財管理センターで大切に保管すること自体に重要な意義があるのです。この出土陶片の一部については、有田焼400年の歴史を陶片で振り返る内容で、有田焼参考館に常設展示していますが、11月の1ヶ月間は企画展のために展示替えをしていますのでご了承ください。機会があれば、ご覧ください。

学芸員 村上 伸之(有田町文化財課 副課長)

ブログ始めました

 独自のHPを開設後、懸案となっていましたブログ「泉山日録」をお届けすることができるようになりました。これは日々の仕事の中で、新しい史実や発見などをわかりやすく皆様へお届けしたいという思いから始めるものです。今後、当館・文化財課職員が交代で行いたいと思います。

 有田町歴史民俗資料館は昭和53年に開館。有田陶磁美術館はナント、昭和29年に陶芸の町・有田に焼物専門の美術館を、という町民の皆様の熱い思いが結実して開館しました。この動きは戦争の爪跡が濃く残る昭和23年1月、陳列館(現在の有田商工会議所)構内の石蔵を有田陶磁美術館に改修するための協議会が開催され、その後、当時の松本康町長を中心に県や国に働きかけ、昭和28年11月には倉敷民芸館の外村館長の指導を受けて、現在ある姿の美術館として改修し、翌年の5月1日、陶器市の真っただ中に開館しました。

 現在は、その働きや思いを昭和55年に開館した佐賀県立九州陶磁文化館に譲りましたが、小さいながらも有田焼の歴史を伝世品で辿ることができます。

 

 お近くにお越しの折には、是非お立ち寄り下さい。看板娘の「有田皿山職人尽し絵図大皿」が皆様のお越しをお待ちしています。

 

                           有田町歴史民俗資料館
                           有田陶磁美術館 
                           館長 尾﨑 葉子
                           (有田町文化財課参事)