登り窯の名称(前編)

 このブログでは、いろんな窯跡の名称が登場します。これはもともと窯の操業当時の名称ではなく、昭和時代になって定着してきた名称です。ただし、現在は遺跡の正式名称として、佐賀県の遺跡台帳に登録されています。

 この窯跡の名称ですが、こういう内容でというちゃんとした命名のルールはありません。現在では、新しく発見されたものについては、極力字名を付けるようにしていますが、以前から発見されていたものについては、いろんな付け方がされています。もちろん、地名が多いのですが、ほかにも西登窯跡や前登窯跡のように、単なる位置関係を示すような名称もあります。柿右衛門窯跡や樋口窯跡などのように、人名に由来するものもあります。その他にもいくつかのパターンがあります。
 最も多い地名に由来するものでも、地名の対象範囲の広さはまちまちです。ほんの一角を指す地名の場合もありますし、割と広い範囲の場合もあります。たとえば、比較的広い範囲の例としては、泉山の年木谷があります。こうした場合、当然、同じ地区に複数の窯跡が所在することがあります。年木谷にも3カ所の窯跡があるため、それぞれ“年木谷1号窯跡”、“年木谷2号窯跡”、“年木谷3号窯跡”などと、ちょっと味気のない名称が付けられています。こうした例としては、ほかに“小樽1号窯跡”、“小樽2号窯跡”などもあります。

 実は、この“●号窯跡”という名称は、使う時ちょっと困ることもあります。別の意味でも使うので、混同されてしまうことがあるのです。たとえば、広瀬山の広瀬向窯跡では6基の登り窯跡が発見されています。そして、それぞれの窯跡は1~6号窯跡と命名されています。すると、特定の窯体を指す場合には、“広瀬向1号窯跡”などとなってしまうわけです。つまり、年木谷の場合には1号窯跡と2号窯跡は別の遺跡ですが、広瀬山の1号窯跡と2号窯跡は、あくまでも広瀬向窯跡という一つの遺跡に帰属する窯跡なのです。ちなみに、この1号、2号という数字は、通常、登り窯跡の発見された順番で付しており、数字の大小に特に意味はありません。

 何号という名称の使い方を説明しましたが、さて、次はどうしたもんかと困るのが、年木谷3号窯跡のように、窯場内に複数の登り窯跡がある場合です。すでに窯名に号数は使用しているので“年木谷3号1号窯跡”みたいな変な名称になってしまい使えません。年木谷3号窯跡の場合は、たまたま発見されている窯体が17世紀と19世紀のものなので、現在は便宜的に“旧窯”、“新窯”と称しています。しかし、今後その間の時期の窯体が発見された場合は、変更する必要があります。こういう時によく使うのが、“A窯跡”、“B窯跡”などのアルファベット名です。黒牟田の多々良の元窯跡では発見順にA~D窯跡としています。これは、隣接して多々良2号窯跡という紛らわしい名前の窯場跡があるからです。ちなみに、多々良2号窯跡はありますが、なぜか多々良1号窯跡はありません。

 場所名に由来するものとしては、ほかにも変わったものがあります。場所の名称というか単なる目印というか…?たとえば、枳薮(げずやぶ)という窯跡があります。泉山に位置する窯跡ですが、これはもともと『肥前陶磁史考』(中島浩氣 昭和十一年)に「泉山の枳薮丘(げずやぶのおか)の古窯」と記されているのが元となっています。“枳”とはミカン科のカラタチのことで、枝には鋭いトゲがある落葉低木です。その枳の藪になっている丘にある窯なので枳薮窯跡となったようです。もちろんそんな地名はありませんし、今は枳の薮もありません。同じような例は、ムクロ谷窯跡などがあります。漢字では“骸谷”の方を想像してしまいそうであまり気持ちの良い名前ではありませんが、実は、“無患子谷”と書きます。“無患子”で“ムクロ”と読める方は皆無だと思いますが、本当は“ムクロジ”または“ムク”の方が正解で、やはり植物の名前です。これも『肥前陶磁史考』では“無患子”と書いて、“むくろ”のふりがなが付されているのがそのまま窯名になったようです。

 このように、窯跡名の由来もさまざまで、中には、“西登窯跡”や“前登窯跡”のように、操業当時の“西登”や“前登”の名称に“窯跡”をくっつけただけのものあります。本来“登”は“窯”のことなので、これもちょっと変な名前なのですが。次回は、こうした操業当時の窯名について、触れてみたいと思います。(村)

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