窯跡と発掘調査(4)

 これまで、“窯跡と発掘調査”というタイトルながら、長らく直接窯跡の発掘調査の話題が出てきませんでした。ようやく本日からは、これまでの有田の窯跡の発掘調査の経過について、少しずつ記してみたいと思います。

 有田で、窯跡の発掘がされるようになったのは、前回も触れましたが1958年(昭和33年)のことです。もちろん、それ以前から、陶片の採集などは行われていましたが、“古伊萬里調査委員会”という調査団を組織して、はじめて窯体の発掘調査が実施されたのがこの年なのです。
 この委員会は、当時、地元の陶磁史研究の拠点であった有田陶磁美術館を本部とし、会長に当時の佐賀県知事鍋島直紹(なべしまなおつぐ)氏、調査委員長には手塚文蔵氏をあて、永竹威氏や池田忠一氏など地元の研究者、今泉今右衛門氏(12代)・今泉善詔氏(13代今右衛門)、酒井田渋雄氏(13代柿右衛門)、深川栄左衛門氏をはじめとする製陶業の方々のほか、数十名が参加されています。この調査は、1959年(昭和34年)に『古伊萬里』(株式会社金華堂)としてまとめられ、発掘以外にも文献や美術史的な視点などから、さまざまな論考や随筆が掲載されており、水町和三郎氏、鷹巣豊治氏、中川千咲氏、磯野信威(風船子)氏、小山富士夫氏をはじめ、当時としてはかなり豪華なメンバーが執筆されています。

 この時の調査では、稗古場窯跡の窯体の発掘が実施されており、6日間で地中深く埋もれた焼成室の一室が掘り出されています。写真で見る限り、奥壁や側壁の立ち上がりも残り、良好な状態で遺存していたようです。
 稗古場窯跡は、現在では町の指定史跡になっており、現地に深い穴が残っていますが、これはこの発掘の時のもので、今でも窯壁の一部を見ることができます。そのほか、この調査の際にはメンバーを5班に振り分け、有田各地の窯跡の陶片採集も行われています。この時集められた陶片類は、現在、有田町出土文化財管理センターなどで保管しています。もっとも、当時はまだ参加者におみやげ(?)として分配されることもあったようなので、全部ではありませんが。

 この有田ではじめての窯体の発掘調査は、前回記した発掘調査の種類で言えば、歴史解明が目的なので、当然、学術発掘ということになります。ただし、この調査は、参加者の構成からも明らかなように、考古学的な手法にのっとった発掘調査ではありませんでした。そのため、土層を分けるなどといったことは、まだ意識されていませんでした。

 有田の窯跡において、部分的にでも考古学的な手法が取り入れられたのは、稗古場窯跡に続いて1965年(昭和40年)~1970年(昭和45年)に実施された、天狗谷窯跡の発掘調査からです。これについては、また次回説明したいと思いますが、この頃には、まだ考古学は、美術史や文献史学を補完する学問という意味合いが強く残る時代でした。(村)

稗古場窯跡の発掘状況

稗古場窯跡の復元推定図

※写真と図は、古伊萬里調査委員会編『古伊萬里』1959より転載

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