窯跡と発掘調査(3)

 前回までは、窯跡の考古学的調査に関して記してきました。本日は、引き続き発掘調査の種類について述べてみたいと思います。
 発掘調査には、一般的に“学術発掘”と“行政発掘”と呼ばれる種類があります。学術発掘は、その名のとおり学問的な問題を解決するための発掘調査で、行政発掘は開発行為などに対応するために先立って行う発掘調査です。同じ発掘調査ですが、目的が異なるため、対象遺跡の選定方法も調査方法も異なります。

 学術発掘は、学問的な問題を解決するための自主的な調査であるため、対象遺跡はその目的に合致したものの中から、原則的に自由に選択できます。また、遺跡内の調査地点や調査面積に関しても、調査目的を達成する上での必要性に応じて、調査主体者が適宜決定します。
 一方、行政発掘は、開発行為等に先立って行う調査であるため、基本的に学術的な面が一義的な目的ではなく、工事等によって破壊される遺跡を発掘調査報告書などの形で、“記録”として残しておく(記録保存)というのが目的です。そのため、いくら学術的な重要性があっても、開発地点以外の場所を掘ることはできませんし、遺構が調査区外に続いている場合であっても拡張して掘ることもできません。逆に、学術的には当面発掘の必要のない地点であっても、掘らないという選択肢もないのです。
 このように、二種類の発掘は一見似ているようでまったく違うものなので、両方の発掘によって判明することも、必ずしも同じではありません。学術発掘が主に解明すべき目的に注力するのと異なり、原則的に、行政発掘は対象地点内で得られた情報を網羅的に記録に残すことが求められるからです。ただし、予算にも期間にも限りがあるため、重点的に力を注ぐ部分もあれば、多少軽く流す部分があるのも確かですが。

 有田に限りませんが、もともとは学術調査が主体でした。しかし、今日では全国的にも発掘調査の90数%が行政発掘で占められているように、有田でもほとんど学術調査は行われていません。そのため、町の教育委員会が調査主体となる発掘も、かつては学術発掘がほとんどでしたが、今日では、ほぼすべて行政発掘となっています。

 有田で窯跡の発掘調査がはじまったのは1958年(昭和33年)ですが、1970年代頃までは学術調査が主体で、行政調査はまれでした。ただし、この頃までは、発掘調査自体それほど多かったわけではありませんが。しかし、日本の経済成長が続くにつれて開発行為が頻繁に行われるようになり、1980年代には行政発掘が一般的になりました。そして、1990年代にかけて、毎年数か所の窯跡の発掘調査が実施されるようになったのです。
 もっとも、この1980年代後半から1990年代の行政発掘は、厳密に言えば、そのほとんどは具体的な開発行為を伴うものではありませんでした。きたる開発に備えて、事前に窯跡の範囲や時代、性格など、基礎データを蓄積しておくのが目的だったからです。そうすることにより、開発に際して、事前に遺跡の範囲を回避することや、迅速で柔軟な対応ができるのです。

 学術発掘の場合は、学問的な課題の解明を目的とするため、たとえば「磁器発祥の窯跡」、「柿右衛門の名品を焼いた窯跡」など、有田の陶磁史を語る上でキーとなる窯跡が対象として選ばれることが多いのが特徴です。そうしたこともあり、現在、国・県・町などの指定史跡となっている窯跡は、ほとんどこの学術発掘が主体の時期に調査されたものです。
 このような史跡指定された窯跡は、文化財保護法や保護条例上、開発行為が難しくなります。しかも、特段の発掘理由が必要となるため、同様に発掘調査自体も難しくなるのです。したがって、すでに調査が行われていることもあり、あらためて行政発掘する機会はぐっと減ります。こうしたこともあり、学術発掘と行政発掘された窯跡の調査例は、さほど重複がないのです。
 もっとも、それ以前に、基礎資料収集のための行政発掘の場合であっても、窯跡を選択する場合、歴史的重要性は優先的な条件ではなく、開発の危惧が最優先される条件です。つまり、開発の危険性の少ない史跡指定された窯跡は、もともと発掘の優先順位としては低いのです。この頃の発掘調査は、とりあえず、早く基礎資料を集めることが重要でした。そのため、表現は悪いかもしれませんが、スピード感が第一で、じっくり咀嚼しながらというよりも、掘れる窯跡はバンバン掘ったというのが実情です。

 こうした発掘の急増によって、窯跡の範囲をはじめとして、基礎的なことはかなり分かってきました。しかし、学術発掘ではないので、歴史解明とは無縁かと言えば、もちろんそんなことはありません。かつての学術発掘では、まず対象にならなかっただろうと思えるような窯跡まで網羅的に調査が進んだことから、さまざまな視点から、有田の窯業史を捉えられるようになったのです。膨大な量の資料が積み上がったことにより、それ以降、有田の窯業史の解明は飛躍的に進歩しました。ただし、スピード第一で突き進んできた分、調査した窯跡のすべてにおいて、必ずしも情報を十分に引き出せているとは言えません。よって、これからは、資料に込められた情報を可能な限り引き出し、いかに有効に活用できるかが重要になってくるかと思います。(村)

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