あるお産婆さんの日記③

新学期が始まって早や1カ月が過ぎました。通勤時にとある小学校の前を通りますが、ランドセルに黄色のカバーを付けた新一年生が元気に登校している様子に、次第に学校生活に慣れ親しんでいく様子がわかるようで、微笑ましく感じます。

学校生活の中で、この時期に行われるのが家庭訪問です。自分が生徒の時にはさほど気にも留めていなかったものの、いざ受け入れる保護者の一人であった時期は緊張のひとときでした。この家庭訪問、一体いつごろから始まったのでしょうか。

トヨさんの日記の大正12年5月11日には「午後福島先生が家庭訪問に来られた」とあります。兄弟が多かった古賀家の誰の先生だったかはよくわかりません。でも、少なくとも大正時代には「家庭訪問」という学校行事が有田であっていたことは確かです。

また、古賀家が住んでいた家は上幸平地区にありましたが、ここと中樽地区のみで行われる「山王祭り」というものがあります。12年に一回、申年の5月に行われる行事で、昭和7年(1932)にもあっています。祭りは23日に行われましたが、その前から地域の人々は準備を始めています。この年には道路拡張も終了しています。日記には19日に「猿を作り、夜は米一方に茶講に行きてから稽古に行き、11時頃帰って寝た」とあります。さらに22日には信子さんの衣装を作り、午後と夜にも稽古をしています。そして当日の23日は好天に恵まれ、猿を下げたり幕を張ったりして上幸平から中樽へと廻っています。恐らく、三味線の音色に合わせて踊ったのでしょう。

それから次の申年は昭和19年になります。第二次世界大戦真っ只中で、この年の陶器市は中止でした。山王祭りも中止されたのかなと思ったのですが、ところが…。昭和19年5月20日。この日は雨ながら、戸口に猿を吊るして飾り、上幸平の天神さんの境内では子ども相撲も開催。非常時ながら、お祭りは開催されていたことがトヨさんの日記でわかります。

さらに昭和31年の山王祭りはモノクロながら映像も残っています。この祭りの謂れや歴史はよくわからない点も多いのですが、二つの地域で守り継がれている行事の一つです。次の山王祭りは3年後、奇しくも2016年、有田焼創業400年の年になります。         (尾)

平成16年の山王祭り

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