窯跡と発掘調査(1)

 有田町内で発見されている66か所の登り窯跡の中で、これまで発掘調査が実施されているものは50数か所に及びます。66か所の中には、正確な位置が不明なものやすでに壊滅している可能性が高いものも含まれるので、現存することが明白ながら、まったく未調査の窯跡はすでに少数です。ただ、こうした調査も、もちろんすべてが短期間に実施されたわけではありません。最初の調査は昭和33年(1958)に遡り、それから約半世紀をかけて、ようやくほぼ窯跡全体の概要が掴めるようになったのです。

 しかし、これまでの発掘調査のあゆみを振り返ると、年々平均的に進んできたわけではありませんし、発掘調査の目的自体にも時代性が現れます。また、求められる調査の精度や調査方法なども徐々に変化しています。それ以前に、発掘調査と言えば、考古学的手法によって実施されるものだと思われるかもしれませんが、窯跡の場合は一般的な遺跡とは異なり、当初は考古学とはまったく関わりがなかったのです。

 こういう、有田の窯跡の発掘調査の経緯などについて、普段触れられる機会は皆無です。そのため、ちょっとこの場で何度かに分けて、簡単に記しておこうかと思います。まず、今回は手始めに、考古学的な発掘調査をする上で窯跡とはどんな存在なのか、ということについて話してみたいと思います。

 遺跡の発掘調査で発見される資料には、大きく分けて二つあります。一つが“遺構”と呼ばれる窯体跡や建物跡などの不動産資料で、もう一つが“遺物”と呼ばれる陶片や窯道具類など動産資料です。つまり、窯跡の発掘調査で得られる資料には、遺構と遺物の別があります。発掘調査の際には、不動産資料である遺構は持ち帰ることができないため、現地で図や写真など記録の形で残しますが、通常、遺物は持ち帰り洗って土を落としたり、出土地点を記録したりする整理作業を行います。

 この窯跡ですが、遺構という面においては、日本ではかなり特異な部類に属します。というのは、“紙と木の文化”などと称される日本では、たとえば建物跡の場合、掘っ立て柱の穴や礎石などは残るものの、通常、立体的な構築物としては残っていません。ところが、窯跡の場合は硬く焼き締まっているため、海外に多い石製の建物などと同じで、立体的な構築物として遺存しているからです。そのため、発掘調査すると、極めてダイナミックな形で目にすることができます。その上、全体を掘り出した場合などは、細長い窯体が数十メートルも山の斜面に続いているのですから、壮観さも格別です。

 ところで、考古学的な発掘調査では、遺跡に堆積した土層を上から順に一枚一枚区分しながら掘り進めて行くのが基本です。こうした発掘方法の詳細については、次回説明したいと思いますが、窯跡の場合は一般的な遺跡以上にこの基本に忠実な調査が要求され、その上土層の堆積が複雑なので、本当に考古学の発掘調査らしい発掘調査ができる遺跡なのです。

 というのは、窯跡の場合、建物跡などと異なり、生産に関わる遺跡、つまりそれ自体常に活動している遺跡であるため、短期の間にどんどん土層が堆積します。しかも、山の斜面に構築されているため、土層も水平には堆積しておらず、人の行為によって人工的に堆積した層が一般的なので、一つの土層は狭い範囲にしか及んでいません。そのため、かなり丁寧かつ慎重に精査しないと、土層の上下関係を捉えるのが難しいのです。

 このように、窯跡の発掘調査というのは、一般的な平地の遺跡では味わえない、なかなかの魅力があります。歯ごたえのある分、ちょっとクセになる調査と言っていいかもしれません。自分でも、これまで40か所近い有田の窯跡を調査してきましたが、振り返ってみると、あの時ああすれば良かったこうすれば良かったと思う点もたくさんあります。ただ、一度掘った土層は二度と元には戻りません。その時々を、一期一会の機会と捉えて調査に臨む必要があるのです。(村)

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