古着

 今からかれこれ10数年前、カンボジアの窯跡の発掘調査に春と夏に出かけていました。当時のカンボジアは、内戦が終結してから数年しか経っていない頃で、まだ混乱が続いていました。

 発掘現場は、アンコールワットから東へ向かって1時間ほど車で行ったところにありました。電気もガスも水道もない村でしたが、子供たちは明るく、物珍しそうに発掘調査を見学にきていました。もっとも発掘調査というよりは外国人自体が珍しかったからかもしれません。

 日本ではもう昔ほど洋服の「お下がり」をしなくなっていましたし、当時、私にいたのは姪っ子ばかりで、一人息子の洋服の行く先がないこともあって、カンボジアの子供たちのために息子の古着を発掘調査現場にたくさん持っていったことがあります。単純に子供たちが喜ぶ顔を思い浮かべていたのですが、現実は少し違いました。かなり多めに持っていったのですが、作業に来ていた大人による熾烈な争奪戦が展開されてしまったのです。服を引っ張り合う姿を見ながら、私は茫然とするばかりで、何もなす術がありませんでした。

 古着の数だけ、少しばかり幸せにしたかもしれませんが、もらえなかった人たちにかえって悲しい思いをさせたかもしれないとしばらく考え込みもしました。考えてみると、単純に貧しいということよりも他人と比べてしまうことの方が不幸なのかもしれません。以来、飴玉などたくさん持ち込めて、かつ大人の争いがあまり起きそうにないものにしました。

 ところが数年後になってもやはり私が持って行った洋服を着た子供たちがいました。子供たちは成長していきますので、「お下がり」を繰り返していたのです。役に立てた数は、古着の数だけではなかったようです。お下がりによって、その数は増え続けていたのです。結局、幸せと不幸とどちらが多かったのか、あるいは幸せの数が不幸の数より多ければそれでよいのか、そして、どうすればよかったのか、今もよくわかりません。(野)

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