池田コレクション第4弾の受入

 過日、鳥取県米子市在住の池田兆一様ご夫妻が来館。これまでに奥様の実家である鳥取の大庄屋・近藤家の分家に残っていた130点余の焼き物と付随する古文書4点をご寄贈いただいていますが、さらに今回もまた、わざわざ米子から車を運転してご来館され、ご寄贈いただきました。(季刊皿山No,92参照)

 池田様ご夫妻と有田町の関わりは一昨年、平成23年の1月にいただいた一本のお電話から始まりました。
 それは「自宅にある古文書に有田焼のことを書いてあるようだが、読んでほしい」ということでした。複写した資料が送られてきたので読んでみたところ、今から170年ほど前の天保時代の文書で、その焼き物を焼いたのが有田の窯焼き・諸隈喜右衛門であることや、近藤家から注文した焼き物の文様や価格、さらには伊万里津から米子までの運送費用等が明記されていて、飛び上るほどの驚きでした。何度かお電話でやり取りをしていく中で、「今度そちらに伺います」と。そして3月に当時の木箱に入ったままの焼き物などを持参していただき、ひとまず調査のためにお預かりすることにしました。
 そこで、古文書と照らし合わせていくと、例えば「一、尺五寸大鉢 二枚 右同段 御紋角切方之内釼花菱 代金二両」とあって、製品と記録が一致。ほかにも、同じ家紋入りのお茶碗や刺身皿、透かし入りの箸立てなどが注文されたことがわかりました。この諸隈喜右衛門よりの「送り状」の合計金額は金廿両三部三朱と銀弐匁で、途中で2回にわたって金弐部と金五両が手付け金として送金されているようです。

 実は窯焼き・諸隈喜右衛門が書いた手紙も残っていて、そこには再三焼き直ししたために納期が延びてしまったことに対しての詫び言と、その詫びを申し上げるためでしょうか、鳥取まで出向こうとしていた様子が伺えます。
 さらに、お詫びの印に、尺5部の中鉢を一枚差し上げますと申し出ていています。ただ、その前にちゃっかりと残金も送ってくれるよう頼んでもいます。こういう手紙を読むと、人間が考える事、行動などは今も昔も大して変わりはないなあと思ってしまいます。

 この諸隈喜右衛門なる窯焼きについて、色々と探しましたが、「有田町史 陶業編Ⅰ」にありました。文化5年(1810)の西登18番の沽券状のやり取りの中で、存人(これがよくわかりませんが保証人という意味でしょうか)として名前があります。今の所、まだ捜査中というところです。どなたかご存知の方がいらっしゃったらご教示ください。               (尾)

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