道路拡張

 4月も第二週目となりました。桜もあっという間に散ってしまい、若葉が美しい季節となりましたが、このころになると、有田の周囲の山々には薄い紫色した小さな花が目に付くようになります。植物名は「サイゴクミツバツツジ」(HPの表紙にアップした花です)で、有田では「ヤマツツジ」とか「インツツジ」などと呼ばれています。この花が山肌に顔を見せるようになると、「陶器市ももうすぐだなあ」と思います。個人的には「陶器市を告げる花」でもあると思っています。この花は岩肌を好むようで、きれいだからといって家の庭に移植しても、なかなか育たないのだそうです。

 例年、陶器市では旧道沿いに沢山の商店が並びますが、この道路の幅は昭和7年までに今の道幅に拡幅されたもので、以前はその半分でした。町中を通る「国道33号」の拡幅計画は、有田町役場日誌を見ると大正14年ごろから動きがあったようです。聞き取りだったか、何かの資料だったかは記憶が定かではないのですが、ある時、国の偉い方が有田を訪問するというので、偉い方を乗せた車が武雄方面から有田に入って来るのに合わせて町のお歴々は岩谷川内方面から車で東上し、町中で出会ってわざと離合できないように仕向けて道の拡幅の必要性を訴えたという話があったように覚えています(うーん、最近は段々と物忘れが…)。

 このことは、有田町役場日誌の大正14年8月26日付けにある事からも十分推測できます。それは当時の町長や助役、道路拡張委員のメンバーは若槻内務大臣が九州を訪れた際、それを好機として懇請を試みたものの、大臣一行は汽車で長崎へ向うという当初の計画が変更できず、上有田駅を通過する際に挨拶し記念品を贈ったことが記されています。さらには佐世保鎮守府司令長官や久留米師団長を訪問していますが、これもこの国道が軍事面でも重要な道路であることを強調したのでしょう。

 涙ぐましいまでの努力の結果、工事は昭和2年から実測に着工。ある家は軒先を切り、またある家は曳き家をしたりと、町民の多大な協力を得て昭和7年4月10日、中の原の細川文次郎宅前で国道拡張竣工式が挙行され、午後1時からは物産陳列館(現在の有田商工会議所の場所にあった)で宴会があり、各区から手踊りが出て盛会を極めたと「松浦陶時報」は記しています。実はこの時のものと思われる映像が当館に残っています。音声がないのが残念ですが、各区の人々が代わる代わる、陳列館前で踊りを披露していて、人々の喜びが伝わってくるようです。この年は5月1日から陶磁器品評会並びに蔵ざらえが始まっていますが、道路拡張のお陰で、前日までは雨降りだったものの、当日は晴れて「交通も楽々」であったとあります。

 さて、今年の陶器市も天候に恵まれて、多くの方に来町いただければと思っています。(尾)

札の辻あたりの拡幅工事現場。後ろの建物は当時の有田銀行(現在の佐賀銀行)。左側の陶山神社の石柱は、線路下に移設され現存する。 手塚家所蔵

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