新年度、そして「松林靍之助 九州地方陶業見学記」発刊!

 新年度・平成25年度が始まりました。当課も多少動きがありました。3月29日には有田町役場で退任式があり、管理職として先鞭をつけていただいていた先輩諸姉の皆さまがどっとお辞めになりました。取り残されてしまったような、一抹の寂しさと不安は隠しようもありません。でも、落ち込んでばかりでもいられません。これからは同僚と共に有田町の文化財保護、有田焼・有田町の歴史の解明に力を尽していきたいと思いますので、皆さまのご指導・ご鞭撻をよろしくお願いいたします。

 さて、このほど京都・宮帯出版社より上記の出版物が発行されました。これは今から100年ほど前の大正8年(1919)に、京都市立陶磁器試験場付属伝習所特別科で学んでいた松林靍之助(1894~1932)さんが、約1カ月をかけて有田をはじめ九州地方の窯業地の現状を調査し、刻銘に記録を残していたのですが、それが靍之助の実家である京都・宇治の朝日焼の窯元に保管されていました。
 今回、それを立命館大学の前崎信也氏が翻刻し、解題を加えたものです。今回、翻刻されたものは和紙にカーボン紙を挟んで記録されていたそうで、厳密に言えば原本は恐らく京都市立陶磁器試験場に提出されたと思われますが、この施設がその後、大正8年に農商務省管轄の国立陶磁器試験所となり、さらに昭和27年には名古屋へ移転。平成13年の機構改革で産業技術総合研究所(略して産総研)と移行する中で、本来あったであろう原本の行方が分からなくなったのではないかという推測を編者の前崎氏はされています。

 靍之助さんはほぼ一ヶ月にわたって博多から有田、波佐見、三川内、さらに熊本・天草、鹿児島までを踏査しています。交通機関が発達している現在ですら、これらを訪問するだけでも大変ですが、当時稼働していた登り窯などを実測し、焚き方や燃焼時間、原料などを聞き取り調査しています。
 有田では泉山はもちろん、岩尾氏、山口徳一氏、辻精磁社、深川製磁、香蘭社などを訪ね、今はない雪竹氏、城島氏、帝国窯業なども訪問しています。中には、窯主の容貌から性格等までも刻銘に分析し記録しています。この点に関して資料を保存しておられた松林家では、多くの窯元や個人が実名で掲載されることを懸念され、当初出版をためらっていらっしゃったとのことですが、貴重な資料を世に出したいという前崎先生の熱意が今回の出版につながったと思います。

 有田、有田焼の近代史の調査は未だ分からない部分が多々あります。例えば、明治後半に有田の窯元の多くが、原料を泉山の陶石から天草の陶石へ移行していく中で、その理由は可塑性や成分の問題にあったと思っていましたが、この本の中で松林さんは「価格に於て非常に安価なるにより泉山石を使用し居れども」と、当時は天草よりも泉山の方が安価であったと記しています。
 天草の方が安価であったために泉山から天草に移行していったと理解していましたが、必ずしもそうではなかったことも今回の資料で分かった点です。

 このこと一つとっても、今回の出版物は大正期の有田地方の窯業史の一端がわかる、貴重な出版物となっています。当初予定されていた価格よりも、写真や注釈などが増えた分、少々高くはなっていますが、是非、お求めいただきご一読くださいますようご案内いたします。

なお、当館でも今後販売を取り扱う予定ですので、購入ご希望の方はご一報ください。尾)

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