有田さくら会

 有田にはそれぞれの業界の組合や団体があります。その中で、業界を主体としたものとはちょっと趣きが異なる団体が「有田さくら会」(会長:蒲地桃子氏)ではないでしょうか。現在、有田町の「町花」も“さくら”ですが、「有田さくら会」は故蒲原権さん(蒲原コレクションの寄贈者)を中心として今から36年前、昭和52年に発足しています。「私は生まれていなかった!」とは申しませんが、有田に職を得る1年前になります。母体となる「日本さくらの会」は昭和39年、東京オリンピック開催の年に日本の花「さくら」の愛護、保存、育成、普及等を目的に、初代会長船田 中 衆議院議長を中心として超党派の国会議員有志により設立されました。

 さくらつながりの話になりますが、昨年の企画展でも紹介したアメリカの作家で地理学者であり、写真家でもあったエリザ・R・シドモアという女性がいます。彼女は明治18年から度々日本を訪れていました。その期間中、明治30年ごろに有田を訪れ、泉山や窯場など見学しています。その折の記録は「日本人力車・旅情」というものにまとめられ、1898年(明治31年)1月22日付けのハーバーズウィークリというニューヨークで発行された新聞の記事として残っていることを米国在住のコレクター・近藤裕美さんから紹介していただきました。英語に弱いこともあって、それを有田町の国際交流員であるハナさん(ナンカ、さくら→桃子さん→ハナさんと花盛り!)に翻訳していただきました。
 記事には武雄温泉のこともありますので、恐らく、武雄から“皿山越横街道”を通って有田入りしたものと思われます。泉山の磁石場の風景から唐臼の使い方や有田焼を作る過程、各窯場で働く子どもたちから大人まで、当時の有田を女性の視線で事細やかに観察し記録しています。この中にある風景は写真家でもあったシドモアが撮影したものと思われますが、これらの記録は「日本奥地紀行」を著したイザベラ・バードの、まさに西日本版ともいえるもので、明治30年代の有田皿山の風景を今に伝える貴重な資料です。
 明治45(1912)年、東京市からポトマック河畔にさくらの苗木が贈られ、昨年は100年という記念すべき年でもありました。この件に関しても、世界的化学者で実業家の高峰譲吉やシドモアの尽力があったといわれます。彼女は武士道に基づく文化と、さくらを愛でる日本人の精神に深く魅せられ、日本滞在中に観た向島のさくらはシドモアの心を掴み、ワシントン・ポトマック河畔の埋立地にさくらを植樹するための活動を行ったそうです。

 今年は開花が早いという予想ですが、これまで有田さくら会では約6000本のさくらを町内各所に植樹し、例年、4月1日にそのさくらを愛でる「お花見会」を開催されています。もうすぐ当館の周囲のさくらも満開となり、連日居ながらにして花見が出来るという贅沢な時間を過ごすことができますが、さて、見ごろはいつになるでしょうか?                  (尾) 

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