初期の窯業

 有田では、これまでのところ、登り窯が築かれた窯場跡が66カ所発見されています。一つの窯場には、複数の登り窯が所在することも珍しくないため、登り窯跡の総数としては軽く100基は超えると思います。

 窯場跡の多くは東側の旧有田町域に位置していますが、旧西有田町域にも点在しています。この旧西有田町域の窯場は、広瀬山を除いて、窯業の成立期、1630年代以前に遡ることが特徴です。それは、現在でもそうですが、旧西有田町域には平地が多く、農業主体の生活が営まれていたからです。窯業の成立期には、まだとてもやきものだけで暮らしが成り立つような状況ではありませんでした。そのため、窯業を職業としていても、農業の場からは離れられなかったのです。
 そうした町の西半部に点在する窯場の中で、旧有田町の西端に位置する南原地区の窯場が次第に力を付けてきました。そして、その周囲に窯場が集中するようになり、従来の農業を主体とする生活圏とは別に、窯業を主体とする生活圏が芽生えたのです。
 そして、この窯業主体の生活圏が完全に確立したのは、寛永十四年(1637)のことです。この年、佐賀藩は町の西側に点在していた窯場を政治的に廃止し、黒牟田や戸杓以東の地域に集約しました。その主体を占める岩谷川内から泉山の間、後に“内山”と称される地域は、有田の方ならご存じの通り、田んぼも畑もほとんどありません。つまり、これを契機として、有田では窯業だけで生計を立てる仕組みができたのです。このように、窯場の移り変わりにも、地理的な要素が深く関わっているのです。(村)

有田町の窯跡分布図

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