登り窯の種類

 山の斜面などに構築される登り窯には、大きく分けて二つの種類があります。一つが竹を縦に半分に割ったような形の“割竹式”と呼ばれるもので、ちょうど竹の節と節の間が一つの焼成室になる感じです。もう一つが、“連房式”と呼ばれるもので、丸い団子をいくつも連ねたような形をしています。

 最初に造られたのは割竹式でした。1580年代後半頃に岸岳(唐津市)で最初の近世窯業がはじまった時や、文禄・慶長の役(1592~98)直後の窯はこの形式です。もともと朝鮮半島で使われていた窯で、それを日本で再現したものです。
 しかし、岸岳と文禄・慶長の役の後、伊万里市あたりを中心に定着した人々によって造られた割竹式の登り窯は、少し焼成室の形状が異なります。岸岳の窯は焼成室が正方形をしており、伊万里市の窯は幅が狭く縦長の長方形をしているからです。縦長の焼成室を持つ割竹式の登り窯は、韓国の窯跡に多く見られます。
 しかし、正方形の窯は類例がなく、トチンなどの窯道具も韓国のものとは形が違っています。その他、藁灰釉製品の類似性などからも、あるいは岸岳の技術は、現在は調査が不可能ですが、今の北朝鮮あたりに由来するのかもしれません。

 一方、連房式は、これまでのところ、その技術の系譜が分かりません。というよりも、築窯技術自体は割竹式と共通する塗り壁式で、朝鮮半島の技術であることには違いはありません。ただ、この形状の窯は、今のところ韓国では発見されていないのです。
 連房式の窯は、当時中国では使用されていました。窯跡が発見されているのは、福建省で漳州窯と呼ばれる産地です。ただし、焼成室の数は2、3室程度で、全体を耐火煉瓦で造り、窯尻の部分には煙突が設けられており、肥前の窯とはずいぶん異なっています。肥前の登り窯のように、焼成室をいくつも連ねるものは、中国の景徳鎮の瓶窯を描いた絵が知られています。しかし、まだ景徳鎮では実際の窯跡は発見されていません。もしかしたら、こうした構造の窯を、朝鮮半島の技術で摸したものかもしれません。(村)

Photo1 上樊川里5号窯跡(韓国・京畿道廣州市)割竹式登り窯

Photo2 陂溝1号窯跡(中国・福建省漳州市平和県)連房式登り窯

Photo3 小溝上1号窯跡(有田町)連房式登り窯

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