日本の磁器に染付が多いのは?

普段目にする日本の磁器には、紺色の絵具で絵が描かれているものが多いのはご存じだと思います。これは呉須と呼ばれる酸化コバルトを主成分とする天然の顔料で、日本ではほとんど産出しないため、江戸時代には、もっぱら中国からの輸入に頼っていました。この呉須で描画した製品は、日本では“染付”と呼ばれています。ちなみに中国では“青花”、韓国では“青華白磁”と呼ばれます。もともと、白い磁胎に呉須で絵を描く製品は、元時代の終わり頃の14世紀に、中国の景徳鎮で発明されました。それが明時代には、それまでの青磁に代わって磁器の主流となり、現代に引き継がれているのです。

有田ではじまる日本の磁器は、豊臣秀吉軍が朝鮮半島に出兵した文禄・慶長の役(1592~98)などの際に、連れて来られた人々の技術によって成立しました。ところが、当時の李氏朝鮮時代の磁器は、無文の白磁が基本で、“青華白磁”は王室などごく限られた環境で使われていたに過ぎません。しかも、王室でも基本は無文の白磁だったのです。こうした特殊なものであったため、当然日本に伝わった技術の中には含まれていませんでした。

ところが、日本の磁器は誕生した時から“染付”を基本としていました。逆に、無文の白磁はほとんどなかったのです。では、なぜ無文の白磁の技術しか持たなかった人々が、最初から“染付”を基本にしようと考えたのでしょうか?おそらく、朝鮮半島に居住していた頃には、呉須など使ったことがなかったはずで、原料さえあれば簡単にできるというものでもなかったはずです。

これには当時の社会的な事情がありました。というのも、日本で磁器が発明される以前から、すでに日本の国内でも磁器はたくさん使用されていました。しかし、そのほとんどは中国からの輸入品であり、朝鮮半島の製品は茶の湯の際の茶碗などとして、ごくわずかに使われていたに過ぎなかったのです。つまり、磁器(当時は“磁器”という言葉はありませんが)として売るものを作るには、中国風な“染付”を基本とすることが必須条件だったのです。そのため、実際に陶工が来たのかもしれませんが、不足する部分を中国の技術で補ったのです。

つまり、日本磁器は“染付”を基本とするというルールは、有田の先人が確立したのです。それが磁器生産の技術が拡散する過程で全国へと伝わり、現代に引き継がれているのです。もし、有田の先人が、保持する朝鮮半島の技術どおりに磁器を開発していたら、今の日本でも白磁が基本となっていたかもしれません。(村)

初期の染付中皿(1620〜30年代 天神森窯跡)

 

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