高いところ、深いところ

江戸時代の有田焼は世界中の遺跡から出土しています。アジアはもちろんのことアフリカ、ヨーロッパ、そして、アメリカでも出土しています。そして、陸からも海からも出土しています。

それでは有田焼が出土している最も標高の高いところはどこでしょうか。今のところ、私が知る限りでは標高2240メートルのメキシコシティです。都市人口およそ2000万とも言われる大都市です。かつてのアステカ王国の首都であり、スペイン植民地時代から現代に至るまで、メキシコの政治経済の中心であり続けています。有田焼がこのメガシティにもたらされていたのはスペイン植民地時代のことです。長崎からマニラ、そして、太平洋を越えて渡ってきたものです。太平洋岸の海抜0メートルのアカプルコの港から2000メートル以上の高度差を陸路で運び上げられていたのです。

今後、さらに標高の高いところから発見される可能性について考えてみます。通常、有田焼は生活用品として使われていますが、人が住んでいない山でも発見されています。例えば有田周辺では長崎県の虚空蔵山(標高609メートル)の登山道や頂上にも有田焼の破片が落ちています。おそらく山岳信仰に関わるものであろうと思われます。現在でも頂上に祠がある山は多く、祠にお神酒を備えるための瓶や碗が供えられていることに気づくことでしょう。江戸時代もそうして祈られていたのです。有田焼ではありませんが、明治40年に北アルプスの剣岳(標高2999メートル)では奈良から平安時代にかけての銅錫杖頭が発見されています。古くから人は山に登り、その痕跡を残しているのです。山岳信仰の対象であった霊峰の富士山、立山、白山などでは登山道や頂上などでお神酒瓶などが発見されるかもしれません。

また、海外ではメキシコシティのように標高の高いところに都市が形成されていることが少なくありません。内陸部のより標高の高い都市で今後、発見される可能性が考えられます。その中でも最も可能性が高いのは、やはり南米でしょうか。例えばボリビアのポトシは標高4000メートルであり、人が住む場所としては最高地点と言われています。スペインの植民地時代には銀鉱山で栄えた町であるため、有田焼が出土する可能性は高いと思います。

一方、有田焼が発見された最も深いところは日本海の能登沖の海底です。カニ漁の籠で引き揚げられたもので、正確な水深はわかりませんが、深さ800メートルぐらいと推定されています。多少の誤差があっても最も深いところで発見されたことには変わりないでしょう。17世紀末~18世紀初めの製品で、おそらく伊万里から積み出されて、日本海を東上している途中で何らかの海難にあったのでしょう。これについては当資料館の2年前の企画展でご紹介させていただいています。(野)

メキシコシティの発掘現場

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