選挙あれこれ

日曜日に行われた衆議院選挙では、当課の職員も全員投票・開票事務に携わりました。選挙の結果はさておいて、この選挙の歴史に関して少し紹介しますと、明治22年(1889)大日本帝国憲法が発布され衆議院議員の選挙法が公布されました。しかし、この時代の選挙権は満25歳以上の男子で、直接国税15円以上を納税している人にしか与えられないという制限選挙でした。翌23年第1回衆議院の総選挙が実施され、投票率は93.7%という驚異的なもの。しかし、有権者は約45万人で人口の1.1%といいますから押して知るべし。ちなみにこの時の佐賀県の選挙区は3区からなり、東西松浦郡は第2区で唐津出身の天野為之氏が当選していますが、有田出身で初の代議士になったのは大木出身の松尾寛三氏で、明治27年9月1日に実施された第4回臨時総選挙に出馬し当選しています。

松尾寛三(まつおかんざぶ) 「西有田町史 下巻」より転載

その後も男子のみでの制限選挙時代が続き、昭和3年の第16回衆議院総選挙で初めて男子普通選挙となり有権者は330万人から一気に1241万人へと約4倍に。そして、昭和20年日本国憲法が制定され、やっと婦人参政権が実現し、日本国民であれば誰でも20歳になると選挙権を得る事ができ、現在に至っています。

有田町の歴史の中でも選挙に関することは、「有田町役場日誌」あるいは「有田村役場日誌」などで垣間見る事ができますが、明治43年4月25日に有田町会議員2級定期改選並びに補欠選挙が行われ、翌26日には同じく1級の定期改選と補欠選挙が実施されています。この1級、2級の区別は町村税の納税額の違いによるものです。

中でも興味深いのは明治45年5月15日に実施された衆議院選挙で、投票時間は午前7時~午後6時までと、今と変わりませんが「午後8時5分有田駅発の列車で投票箱を送致。桑原監視官・久富助役・井手立会人・内田巡査・横尾書記が付き添い」伊万里市にあった西松浦郡役所へ持参しています。大正9年の5月10日の衆議院選挙ではその夜「投票箱を護衛するために紀伊県属・植松巡査・井手助役・浦川雇が徹夜で監守す」などが役場日誌に記載されています。

「西有田町史 下巻」によれば、この選挙制度が始まったころ、佐賀は高知と並ぶ民権運動の温床とみなされ政府側の標的になったとあります。反政府政党を一般に「民党」、与党を「吏党」と呼んでいたそうですが、第1回の佐賀の当選者4人は揃って民党に属していたそうで、選挙になると各地で流血の惨事が起きたといいます。そういう数多の時代を経て現在に至るのですが、さて、今回の結果はこれからの日本、有田町にどう影響していくのでしょうか。 (尾)   

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