有田街道を歩く

明けましておめでとうございます。今年も昨年と相変りませず有田町歴史民俗資料館・有田陶磁美術館・有田町文化財課一同に対し、ドシドシ叱咤激励をお願いいたします。

 

ところで、昨年9月に伊万里市歴史民俗資料館と共催で開催した「伊万里津から有田街道を歩く会」では有田町は勿論、伊万里市や武雄市からも参加いただき、秋のさわやかな風を受けながら約12㎞を歩きました。この道は、山内町を通る道(上手路)と共に、江戸期を中心に有田焼を運んだ道(下手路)でもあります。

有田焼の歴史に関してよくある質問に「有田焼は伊万里まで有田川を船で運んだのではないか?」というのがあります。確かに明治期になって、有田川を浚渫して船を通そうという計画が起こったことは記録にもあります。でも、今もそうですが、川底が浅いために船の航行は無理だったようで、そこで人間による運送、つまり荷担う人(ににゃーさん)が大活躍したのでした。今でいう、運送業の走りですね。どれ位の人がいたかというと、明治20年に書かれた『制度考』には「磁器を伊万里港に運搬する担夫(荷担ひと言う)毎日5~60人に下らず」とあります。『皿山代官旧記覚書』の明和9年(1772)の記事には、広瀬山・応法山の窯焼きが「いまり差下し候荷物」に牛馬を使ったという記録がありますが、一般的には人力によるものがほとんどだったようです。

以前、今回とは逆のコースで有田から伊万里まで歩いたことがありますが、ただ歩くだけでもキツイのに、靴などない時代、草鞋履きの上に天秤棒で重い焼き物荷を担いで歩いていた先人の凄さを思うと、ただただ圧倒されます。

先人、先達のこれまでの労苦に対し感謝しつつ、今年も頑張りたいと思います。         (尾)

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