有田の“山”付く地名の意味

有田には、「外尾山(ほかおやま)」や「広瀬山(ひろせやま)」など、後ろに“山”の付く地区名があります。別に“山”の付く地名など、全国的にも珍しくないのではと思われるかもしれませんが、実は、有田の地名の“山”には、ほかとは違った特別な意味があります。

江戸時代には、有田の中で窯業地があった場所は、総括して“有田皿山(皿屋)”と呼ばれました。その皿山を構成する単位として各窯業地に付された名称が“山”だったのです。つまり、有田の地名で“山”の付く場所は、かつて窯業が営まれ、山の斜面に登り窯が築かれていた地区なのです。一方、「赤絵町」や「中の原町」など後ろに“町”の付く地名もあります。容易に想像が付くように、こうした“町”の付く場所は窯場のなかった地区なのです。

しかし、“山”と言っても窯業に関連して付された地名なので、自然地形の一つの山そのものが“山”の範囲ではありません。人々は平地に居住して製陶を営み、その平地に面した周囲の丘陵に登り窯が築かれやきものが焼かれました。よって、一つの平地を中心として、その周囲の丘陵を含んだ部分が一つの“山”なのです。つまり、自然地形の一つの山の反対斜面は、また別の“山”ということになります。

時期によっても変動はありますが、かつて有田には15カ所前後の“山”がありました。しかし、窯業地としての意味合いを失った現在では、大半の地名から“山”が省略されています。たとえば「赤絵町」の東に隣接する「幸平」地区は、かつて「本(下)幸平山」という地名でした。そのため、町並み自体は「赤絵町」から連続していますが、現在でも「幸平」地区ではあっても「幸平町」という名称で呼ばれることはないように、逆に“町”が付かないことが“、かつて“山”であったことを表しています。

しかし、「外尾山」や「広瀬山」の場合は、ちょっと特殊な事情があります。現在でも、それぞれ隣接して、「外尾町(村)」や「広瀬(村)」があるからです。この場合、“山”の名称を省略すると、ちょっと混乱を招きそうです。これは、他の“地区がまるごと全体が“山”であったのと異なり、「外尾山」や「広瀬山」の場合、もともと「外尾町(村)」や「広瀬村」があり、その一部を分離・分割して“山”が成立したものと考えられます。そのため、本来「外尾」地区の“町(村)”の部分と“山”の部分という意味であるため、本体となる地区名自体は同じなのです。

このように、“山”と“町(村)”という名称の違いが、地区の性格を表しているところなどは、とても伝統的な窯業地らしい特徴と言えるのではないでしょうか。(村)

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