執行弘道さんのこと

執行弘道(しぎょうひろみち)という、明治から大正期にかけて国内外の美術普及に活躍した人をご存知でしょうか?元佐賀藩士で、明治3年、大塚琢造・八戸欽三郎らと共に佐賀藩の貢進生に選ばれ、大学南校に入校。その後、明治7年(1874)に政府の肝いりで設立された「起立工商会社」(読みは「きりつ」とも「きりゅう」とも。社長は元佐賀藩士の松尾儀助)のニューヨーク支店に明治13年~24年まで勤務しています。面白い事に、大塚も八戸も共に起立工商会社に入社しています。当時のエリート中のエリート、佐賀藩きっての人材がこぞって起立工商会社に関わっていることも興味深いところです。大正10年に発行された「紐育日本人発展史」には明治14年、アメリカ・ボストンの陶器輸入商人アーサー・フレンチが焼き物指導のため、約40日間有田に滞在した折、その食材として牛肉や牛乳、野菜等を滞在中の手塚家へ佐賀市より運んだのが起立工商会社員の八戸・執行両氏であったと記しています。

起立工商会社に関しては、多くの研究者の方が触れていらっしゃいますが、有田に関しては明治8年に発足した合本組織香蘭社や明治12年発足の精磁会社の製品を取り扱い、盛んに輸出しています。起立工商会社は「各種製作界、図案界の名工、皆同氏の傘下に集まりしといふも過言にあらざりし」(「明治事物起源」石井研堂著)とまでいわれ、ニューヨークとパリに支店を設けて活発に日本の工芸品を輸出していました。さらに、松尾儀助は明治11年に設立された商法会議所の議員として、渋沢栄一、益田孝、大倉孫兵衛、森村市太郎ら当時の経済界をリードしていた錚々たる人物と肩を並べる活躍をしていました。しかし、同年23年頃には没落、解散したようで、同じく石井研堂によれば「世に士族の商法という新諺の適例を示せしもの」とまでいわれています。

11月17日(土)、東京駒込の東洋文庫ミュージアムで「アメリカのジャポニズム~日米文化交流の歩みと知られざる偉人・執行弘道」という公開シンポジウムが開催され、参加してきました。東京在住の執行家の子孫の方々にもお会いしました。執行弘道さんは佐賀ではすでに知らない人が多いかもしれませんが、帝国ホテルの設計者フランク・ロイド・ライトが建設当時浮世絵の収集をしていて、それに協力した人であり、その後、シカゴ万博やパリ万博、セントルイス万博に事務局員や鑑査官などの役職で参画。国内でも明治美術会、日本図案会、岡倉天心創立の国華倶楽部などの役員や会員として参加しています。このように国内外で日本美術の普及に貢献した執行弘道さんですが、長い間、その偉業は埋もれてしまっていました。最近になり、美術評論家の故瀬木慎一さんが執行弘道さんに関して、もっと多くの事が知られて当然であるという紹介文を日経新聞に掲載されましたし、今回のシンポジウムは執行さんの足跡をあらゆる角度から迫ったものでした。

現在、執行弘道さんは東京都麻布の賢宗寺に眠っています。奇しくもその隣には同じ起立工商会社の松尾儀助や八戸欽三郎の墓碑もあります。明治期に活躍した佐賀の人々は、現在の佐賀、あるいは有田をどのようにみているのでしょうか。         (尾)

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